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嵐と熱情 [音楽]

さて、前回はルードヴィヒ・ベートーヴェンのピアノソナタ 第8番 ハ短調 「悲愴」についてでしたが、今回も引き続きベートーヴェンのピアノソナタについての考察。俎上にあげるのは第17番 ニ短調 「テンペスト」と第23番 ヘ短調 「熱情」。どちらも通称がついていますが、前回の「悲愴」は大先生自らお付けになられたものであるのに対して、今回の2作品は何れも他人による後付け。
「テンペスト(tempest)」は日本語にすると「嵐」。第17番と第23番の解釈について、弟子のアントン・シンドラーが大先生に尋ねた際に、ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト(The Tempest)』を読め」とおっしゃったことに由来している・・・らしい。
アントン・シンドラーはベートーヴェンの伝記を記したことで知られていますが、聴覚を失ったベートーヴェンとは筆談だったうえに、都合のいいように不正確で虚偽の内容を記したり、甚だ信用に欠けるようでそうなると「シェイクスピア」云々もちょっと疑わしい・・・かも知れない。
ピアノソナタ第23番は「熱情(アパショナータ)」。こちらの通称は後年ハンブルグの出版商が曲の雰囲気から付けたものだそうで、イメージ通りだから今日までそのまま通用しているのだそうです。

はたして、シェイクスピアとは関連性があるのか? テンペストが示すものとは? 嵐はSmapを超えたのか??

 

まずはウィリアム・シェイクスピアの「テンペスト」を思い出さないと・・・。

「テンペスト」はシェイクスピア最後の作品と言われるロマンス劇。4大悲劇に埋もれがちですが、魔法やら妖精やら怪物やら冒険やらとファンタジー的であり、シェイクスピア作品らしく陰謀も華々しい恋愛もちりばめられて、最後の作品らしく集大成のようなストーリーとなっています。

♢♢♢♢♢

ミラノ大公であるプロスペローは弟アントニオの奸計によりその職務から追い落とされ、あまつさえミラノから娘ミランダともども追放されてしまいます。シェイクスピア的な展開ですが、このプロスペローさん、大公でありながら魔導士でもあり政治、政策より学問、魔法が好き、本が好き。世が世であればリコール、クーデターですが、嵐に揉まれ、流れ流れて辿り着いたのは絶海の孤島。しかもここは怪物キャリバンや風の妖精アリエルが暮らすファンタジーな島。
ここに来て元大公さん俄然張り切って怪物の手から島の領有権を奪ってしまい、囚われの身であった妖精を助ける代わりにと自分の手下にしたうえでこき使う。それだけのバイタリティがあるのならミラノを追われることはあるまいと思うが、考えようによっては怪物より人間の方が業が深くて怖い、手に負えないのでしょう、多分。
あるいはそんなプロスペローとはいえ人の親。一緒に流されて来た娘ミランダが不憫だったからかもしれません。ミラノのお城で蝶よ花よと育てられていた止ん事無きお姫様が野鳥が飛び交い野草が茂る荒れ地へと、自分のせいで投げ出されたのですから。日に日に美しく育っていく我が子を見て、再びハイソでセレブな生活をさせてあげたいと思ったかもしれません。子を持って知る親心。
魔法と怪物や妖精の力を使えば、元の地位に返り咲くことも夢ではないと一念発起!! 復讐の機会を探しつつ時は流れて12年。
時満ちて、ナポリ王アロンゾとその王子ファーディナンド、現ミラノ大公アントニオらを乗せた船が近くの海を航海中。プロスペローは風の妖精アリエルの力を使って嵐を起こし、お歴々ご一行の乗る船を難破、漂流させて自らが住まいする孤島へと引き寄せます。
プロスペローは魔法の力でファーディナンド王子を愛娘ミランダを結びつけようと計ります。一方アントニオはさらなる出世を企んで王弟を唆して王殺害を画策中。さらにはあわれな怪物キャリバンが漂着したピエロやコックを仲間にして反プロスペロー同盟を結成。三つ巴、四つ巴の争いの中、魔法の虜となった若き王子とミランダの恋は成就するのか。プロスペローは復讐を果たしてミラノに復権するのか・・・。

♢♢♢♢♢


初演は1612年頃。ベートーヴェンはお芝居でも観ているだろうし、弟子に「読め」と言ったのなら自身も読んだはず。シンドラーの著作の信憑性はともかく、他の確証がないので、ベートーヴェンが沙翁の戯曲にインスパイアされたとしておこう。

となると、

第17番の第1楽章は、徐々に荒れ始めた海原に揺蕩う小舟。暗い海は小さな舟を弄びながら遥か遠い沖合へと攫っていかんと波を昂らせる情景か。繰り返す押し寄せる風と波。
第2楽章は絶海の孤島に辿りついたプロスペローが静かに学問と魔法を修める様子。それとも都を慕い物思いにふけるミランダの心情。
第3楽章は魔法の力に寄って嵐を起こし仇敵に復讐せんとする様か、それともファーディナンド王子とミランダの絡み合う愛情・・・??

なァんかちょっと違うよねェ。

第23番にしたってシェークスピアのテンペストが下敷きになっているのなら、燃え上がるのは陰湿な復讐の炎、それとも魔法の媚薬でときめく恋人達の甘い吐息か。

ミランダに「不滅の恋人」の姿を見出したのか。零落した果敢ない愛人の面影。

戯曲「テンペスト」で陰湿な陰謀を巡らせるのは脇キャラの方。主人公プロスペローは復讐を思い立つとはいえ、結末は若くて美しい二人のラブ・ロマンス。ロマンチィック・コメディと捉えてもいい。シェークスピアも復讐を取り止めて和解に導き、最後の顛末は観客に委ねた。それに対して、ベートーヴェンの2つのソナタはラブ・コメとは捉えにくい、聴こえない。

ピアノソナタ第17番が書かれたのが1802年、第23番は1804〜1806年にかけて作られたとなっています。時期としては「ハイリゲンシュタットの遺書」の後、ロマン・ロランをして「傑作の森」と呼ばれた頃。聴力障害という演奏家、作曲家にとって致命的なハンディキャップを克服しつつある時期。

またまた私事になりますが、ワタクシも突発性難聴になった時、そして聴力が戻ってからも耳鳴りと頭痛、目眩を感じる時が未だにあります。ベートーヴェンの場合も原因はともかく、もしや目眩や頭痛を感じていたら、耳鳴りを絶えず感じていたとしたら・・・。

テンペスト、嵐は彼の頭の中、耳の奥に吹き荒れていたのではないか?

楽器の音をかき消すような耳鳴り、打ちのめされるような頭痛と目眩を感じていたら・・・。
もしや、シェイクスピアとは言ったかもしれないが、喜劇「テンペスト(tempest)」ではなく、悲劇「ハムレット(hamret)」を想起していたのではないか。耳奥に渦巻く嵐を治めるために、「永らうべきか、死すべきか、それが問題なのだ!!!!」と叫びたかったのではないのか?
自殺を思い立つほどの絶望感を誘うテンペストを打ち払うのは音楽への燃え上がる熱情。耳鳴り、目眩を抑え込むように迸るアパッショナータ。

いかん、今回ちょっとマジメすぎる。面白くない!?

今気付いたが英語なら確かに、"tempest"と"hamret"、似ていなくもないが、ルードヴィヒとアントンは何語で話して何語で筆談していたのか。ドイツ語なのか?

アントン・シンドラーに曲の解釈を訊ねられたルードヴィヒ・ベートーヴェン。ウィリアム・シェークスピアが戯曲テンペストの最後、プロスペローが風の妖精を解放してミラノへ戻るべきかどうかを観客に問うたように、解釈は聴衆が自由に決めること、そう言いたかっただけだったのかも知れません。


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