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悲しみの向こう側 [音楽]

音楽室の怖い肖像画のおかげで(?)誰もが知っている大作曲家といえばルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンですが、彼が作曲したこれまた有名なピアノソナタに「悲愴」というタイトルがついた楽曲があります。

ピアノソナタ第8番ハ短調作品13『大ソナタ悲愴』(Klaviersonate Nr. 8 c-Moll "Grande Sonate pathétique" )

あまりにも有名なこの曲、「大ソナタ悲愴」なる表題はベートーヴェン自身がつけたそうですが、全楽章通して聴いてみても"悲しくて心が痛む"ようには感じない。叙情的ではあるが、悲しみや傷ましさというより、慈しみと穏やかさを感じてしまう。

確かに、ワタクシことたーぱぱは絶対的な音感や専門的な知識を持ち合わせていないし、1800年前後のドイツあるいはヨーロッパの歴史に造形が深いわけでもない。ハードディスクやフラッシュメモリが擦切れるほど聴き込んだわけでもない。

Graveの序奏が低くて暗い印象を与えて、それがまるでハラハラと律動するパッセージの中にちりばめられて、不安とトキメキが渾然一体となった第1楽章。
第2楽章は一転して、あまりにも優しくてココロに染み入るようなアダージョ。悲しさよりも慈しみ、労り。
そしてそれらが解け合いながら昇華していく第3楽章。

「悲愴」より「慈愛」、あるいは「祈りと慈しみ」が聴こえる。

ドイツ語の「pathétique」と日本語の「悲愴」とは若干意味合いが違うのかも知れない。

今現在聴くことが出来るのは、彼が書き残した楽譜を現在のプレイヤーが演奏しているものなので、作曲者の意図したニュアンスと異なる解釈のもとに奏でられている可能性もある。

ベートーヴェンの人生もとんでもなく波瀾万丈。若くして最愛の母を亡くし、アル中の父との確執があったり、モーツァルトやハイドンを訊ね師事したり、 難聴から中途失聴者となりながらも絶望の縁から這い上がり新しい芸術の道へと邁進していく。大河ドラマですやん。

ピアノソナタ第8番「大ソナタ悲愴」が作曲されたのが1798年。20歳代後半のルードヴィヒ、難聴が悪化し失聴者となりつつある頃か。「ハイリゲンシュタットの遺書」を認める数年前。聴力障害から「悲愴」と結びつけるのは簡単だけど、ちょっと面白くない。
モチーフは母を亡くした時あるいは父親が他界した頃から温めいた・・・と考えれば、ハラハラと祈りと悲しみはうまく纏まる・・・ような気もする。
カトリックではあるが敬虔なキリスト教徒ではなく汎神論的な考えをもっていたと言われるベートーヴェン。それでも、父母を偲びつつその成仏を祈らないか? 聴力を失いつつある我が身を悔やみながらも回復を願い祈らないか? 幾つもの苦難とそれに打ち勝って芸術に没頭しようとする祈願。

かくいうワタクシも以前に突発性難聴から一時的に右耳の聴力を失いました。聴こえ辛くなって綿棒などでいじっているうちに痛みまで感じて耳鼻科へ飛び込んだら突然「入院することは可能か?」と訊ねられ、ストレッチャの上に寝かされて注射を射たれたり点滴されたりしたときは驚きドキドキハラハラ。聴力は戻らないかも知れないと言われても絶望するより回復を信じて祈りました。おかげで通院と投薬で聴力も奇跡の復活。戻った時もオドロキとともに、有り難さにナニにとはなしに祈りました。

といっても特定の宗教を信じているわけでもなく、近場の神社へ初詣でに出かけたり息子の学力向上を願って天神さんへ立ち寄ったりする程度、苦しい時だけの神頼み。
何かに縋るというわけではなく漠然とした祈り。独自の宗教観を持っていたらしいベートーヴェンもそうではなかったのか。そりゃあ、ワタクシとルードヴィヒ・ベートーヴェン、同列に考えるわけにはいかないとは思う。思うけど、演奏家で作曲家にとって聴力はなにより大事でしょうが、一般人たるワタクシだって耳が聴こえなくなるのは一大事!!!!

大切なものを失った喪失感とそれを取り戻したいと願う煩悩。

PlayとPray、何となく纏まりそうだが、やっぱりそれでも楽しくない。どうせなら、ロマンティックな解釈がいいね、ベートーヴェンと言えば「不滅の恋人」ですし。

20代後半のルードヴィヒ、心ときめかせるような女性と出逢って恋に落ちます。
あのヒトはボクに恋してくれるだろうかと不安になったり、彼女のことを思うたび胸が騒いだり、懊悩と興奮の第1楽章。恋人を愛おしみ、ひとつになりたいと祈る第2楽章。そして欲望が成就して絶頂へと昇華していく第3楽章。少女漫画というよりレディースコミック的なdesire。悲恋と成就。ベートーヴェン/ピアノソナタ第8番にぴったりですやん。

そういう風な妄想(?)を重ねれば古典派だって堅苦しくないし、ロマン派って感じもするし、クラシックも面白く聴ける。ロマン主義を学術的な感情・感覚と難しく解釈するより、♡マークが飛び交ってるLove-Romanceと考える方が親しみやすくて楽しめるやん。なにより気持ちよくて(以下、自主規制)。そんな秋の夜長の物思い。

あぁ、ワタクシもたまには道ならぬ恋、ロマンチィークをしてみたいわァ、ママちゃんにはナイショで♡。


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