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安息 [音楽]

最近新しい楽曲がどうも耳に馴染まず、いわゆるクラシックを聴く割合が大きくなって来ています。ポタ時のBGMや風呂場でジュニア君と合唱(?)するのはAKB48だったり、なにかと話題のKARAだったりはしますが、部屋に籠ってじっくり聴くのはクラシック。

秋頃はアニメ「サザエさん」でマスオさんがヴァイオリンを弾きつつポール・ヴェルレーヌの詩を引用したりするもんだから(→記事参照)、「秋はヴァイオリン」と弦楽器づいていいましたが、さて冬に合うのは・・・と考えたところ落ち着いた先が"宗教音楽"、ことに"レクイエム"。
冬 → クリスマス → 教会 → ミサ曲 という単純な連想でもないと我ながら思うのですが、"冬はレクイエム"です。
宗教心も信心も持ち合わせていないけど、カトリックの教義も理解はしていませんが、単に楽曲として聴いてもクオリティの高い名曲は数限りなくあります。

レクイエムといえば、三大レクイエムとして、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレのものが特に有名ですが、他の作曲家もそれぞれに名曲を残してくれています。三大レクイエムはさすがに何れも荘厳にして華麗、ドラマティックで聴き応えも十分で、未だ愛される由縁なのでしょうね。

最近の経費節減でTVのバラエティ番組でも著作権の切れたクラシックがよく使われているようですが、特にヴェルディのレクイエムから「怒りの日」がやたらに用いられているのが耳につきます。

「葬送曲」なんて訳されたり、「死者のための」と言われるとかなり暗い印象で、「怒りの日」、「呪われたもの」となると怖いくらいですが、「入祭唱」辺りは安らぎを与えるくれるのも確か。

"教義"や典礼文の内容を無視すれば・・・、

春に芽吹いて、夏は華やいで、秋に実をつけた植物が次の春を待って耐える冬。シーズンオフに身体を休めてリフレッシュするための安息。怒りや呪いは終えたシーズンを振り返っての反省だったり次のシーズンに向けての決意だったり。レクイエムを死者のためだけと捉えるのは勿体ないんじゃないかと。

気ぜわしい都会人なら、朝目覚まし時計に叩き起こされて、昼間はあくせく働いて、アフターファイブを堪能した後の静かな憩い。明日の鋭気を養うための静かで深い眠り。安息は生きるヒトにも必要だと思うのですが。

ワタクシことたーぱぱは最近、音楽は「祈りと口説」だと考えています。祈りの対象は神や仏とは限りません。信仰とは離れた、愛しい者へ届けたい「願い」と言ってもいいかもしれません。以前記事にしたベートーヴェンのピアノソナタ8番、17番や23番はその最たるもの、狂おしいほどの祈りと口説だと思って愛聴しているのですが(→記事参照12)、ミサ曲など宗教音楽は研ぎすまされた「祈り」。ココロに響くンですよねェ。

レクイエム以外、J.S.バッハのオルガン曲もさえざえと冷え込んだ冬の夜にはハマりますが、今一番のお気に入りはヨハネス・ブラームスの「ドイツ・レクイエム」かな。安らかに眠れます。

この頃「安息」を求めるのは、死ぬほど疲れているんやろうか、ワシ!?
しかし、この手の曲を流しながら昼寝なんかしているとママちゃんから「永眠する気か!?」と叩き起こされてしまうんですよねェ。

 


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