内省的彷徊1〜吸収と放出 [日常・雑感]
若い頃は(自称)シンガーキーボーディストソングライターであったワタクシことたーぱぱ。
結婚して子どもが生まれて、仕事と家事と育児の狭間でもがくうちに自分の時間がどんどん目減り、ノンキに歌ってられなくなって来た。
シングとキーボードは日々の練習でスキルを磨くしかないのだが、ソングライトは一瞬のヒラメキをキッカケに、それを膨らませていくしかない。考えても気張っても出て来るもんじゃあない。雷光のごとく落ちて来るのを捕まえてそれをコネクリ回して形にしていく。
といっても、じっと待っているわけではなく・・・。
小説を読んだり、絵画を見つめたり、映画を観たり、ちょっとした風景を眺めたりすると、その萌芽が芽吹き出して来たりする。
なんのことはない。食べたら出す(キタナい!!!!)。
吸収した文字やイメージを融合なり分裂なりの化学反応させることで放出される安全かつクリーンなエネルギー。それがオンガク。
壮大な交響曲や超絶技巧までは目指さない、身の丈に合っただけのエネルギーで十分。無理は禁物。より大きな熱量を求めるあまり、効率が落ちたり想定外の事象が発生して手に負えなくなってしまったり・・・というのは別のお話し。
批評家でも評論家でもないので小説や映画のレヴュー(review)はしないけれど、目や耳から取り込んだデータは自分なりに咀嚼して何か形にして残しておけたらと思う次第。レヴュー(revue)はエンターテイメントでもあるわけですから。
小説や映画はほぼそのままだったり心惹かれた1シーンだけ切り出す。絵画や風景はその絵画的萌芽を肉付けして、短いストーリーを紡ぎ出し、それを絞って歌詞やメロディに仕立てる。そう書くと面倒くさそうで、勿論物語を練り上げるのに時間を要することもあるが、不思議と萌芽から歌詞・メロディまでは一瞬という場合も時としてある。
で、そこまではさほど苦労も苦心もしない。締め切りに追われるわけでなく、ノルマがあるわけでもないので、ヒラメいたものを書き留めるなりレコードしておけばいいわけで。
そのあと楽曲に仕上げるのは少し面倒。キーボードなりコンピュータなりでコードを付けたりリズムを付けたりが手探りなうえ、どう仕上げるかが悩みどころ。
今年は年初から哀しいことで少し籠っていたおかげ(?)で本を読んだり映画を観たりする時間が増えたせいか、創作意欲が再び湧き上がって来たような気がしている今日この頃。
ポタリング途中で出逢った風景が音楽的に感じられたらグッド・コンディションの証し。
昨日観た映画から〜
ざわめきが去ったあとのフロアに独り残り
古びたピアノで As Time Goes By
都隔てた地平の果てで出逢えるなんてまた皮肉な話しさ
昨日のことなんか覚えてない
あまりに遠過ぎて
あの日パリ駅
握ったレターが雨に流れ滲んで落ちた Mum
愛と呼ぶには短いけれど
パリでの思い出が今宵もリフレイン
明日のことなんかどうでもいい
あまりに遠いから
たとえ夜霧が貴女攫っても
温もりだけ腕に残る Mum
愛と呼ぶには果敢ないけれど
貴女の未来は空の彼方
さて、どう仕上げましょ? イメージするのはこの人(ただし、若くて綺麗だった頃の・・・)
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